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これまでの放送内容

2012年7月21日(土)

川に生かされ~八郎さんが見つめたふるさと~

球磨郡球磨村楮木地区は近くに橋がない。川の向こう岸までを結ぶ唯一の手段は、渡し舟。住民のために毎日川辺でお客さんを待つ求广川八郎さんの生活を追った。

球磨郡球磨村楮木地区。球磨川沿いの山間に9世帯20人が住む小さな地域がある。この地に生まれてから84年間ふるさとを見つめてきた求广川八郎さん。近くに橋がない梶木地区では川の向こう岸の駅までを結ぶ唯一の手段が渡し舟。八郎さんは病院通いのお年寄りや買い物客の為に一日川辺の小さな小屋でお客さんを待つ。かつては1日何十人も渡したという八郎さんの渡し舟だが今は1日2人から3人、1人もいない日もある。撤去が決まった下流のダムが放水を始め、満々と水をたたえていた球磨川の水位も大きく低下した。80歳を超えた八郎さんを気遣う妻のハルコさん。後を引き継ぐ人が見つからない中で「自分がしないと・・」とぽつりとこぼす八郎さん。今日も小屋の中から1時間に1本の列車の到着を気にかける。そんな故郷の生活を支える八郎さんの生活を見つめた。

出演者:求广川八郎 求广川ハルコ 【ナレーション】 寺田菜々海(TKUアナウンサー)

制作局テレビ熊本(TKU)

2012年7月15日(日)

走れ!夢に向かって~車いすバスケットボールでつながる絆~

様々な過去を乗り越えて立ち上がり、車いすバスケと出会った選手たち。車いすバスケットボールにかける思い、チームの絆、そして彼らを支える人々の姿を追った。

 攻守の際、車イスで激しくぶつかりあうことから「コート上の格闘技」とも言われる「車いすバスケットボール」。鹿児島にその車いすバスケットボールに真剣にり組む人々がいる。チーム名は「薩摩ぼっけもん」。「ぼっけもん」とは鹿児島の方言で「やんちゃ坊主」という意味。9年前のチーム創立当初なかなか試合で勝つことができなかった薩摩ぼっけもん。地道に練習を積み重ね、少しずつ勝利をつかんできた。チームの最終目標は、東京で開かれる日本車椅子バスケットボール選手権大会への出場。様々な理由でハンディキャップを負いながらも立ち上がり車いすバスケと出会った選手たち。夢を追い続けるチーム、彼らの車いすバスケットボールにかける思い、チームの絆、そのまわりで彼らを支える人々の姿を追った。

出演者:ナレーター:坪内一樹(KTSアナウンサー)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2012年7月8日(日)

日本の美竹 日本人の技で世界へ

日本の美しい竹でフライフィッシング用の竹竿をつくる職人が福岡県久留米市に。脱サラをしてこの世界に飛び込んだ男とアメリカでも評判の竿の秘密を追う。

バンブーロッドビルダー・秋丸修一さん。フライフィッシングに使う竹竿を作る職人です。軽い毛バリを狙いの場所に投げ、魚をかけるフライフィッシング。竿の反応の良し悪しが釣果を大きく左右します。秋丸さんの竿は軽く、美しく、しなやか、そして粘り強いと評判。日本はもちろん、フライフィッシングの本場・アメリカでも高い評価を受け始めています。脱サラをして竿作りの道に入った秋丸さんの人生と竿の秘密を追いました。

出演者:バンブーロッドビルダー・秋丸修一さん

制作局テレビ西日本(TNC)

2012年7月1日(日)

40年目のまなざし 佐木隆三の沖縄

1972年5月15日、日本に復帰した沖縄。75歳の作家は、40年前まで「アメリカだった沖縄」の空気に包まれて、何を感じ、何を話すのか・・・。

『復讐するは我にあり』で知られる直木賞作家・佐木隆三氏(75)。北九州市門司区に居を構え、執筆活動を続ける佐木氏は、返還前の沖縄・コザで2年間暮らした経験があります。その間、沖縄復帰闘争の活動家とかかわったり、沖縄返還協定批准阻止のゼネストの首謀者と疑われ12日間の拘置所に拘留されたりなど激動の2年間だったと振り返ります。また沖縄内で混血の少年が少女を殺害した事件をモデルにした作品『偉大なる祖国アメリカ』を後に書きあげています。1972年5月15日、沖縄は日本に復帰しました。今年は40周年の節目の年。75歳になった佐木隆三氏は40年前まで「アメリカだった沖縄」の空気に包まれて、何を感じ、何を話すのか・・・。番組では、復帰40年の沖縄を行く佐木隆三氏、さらに、当時のニュース映像を加えて、佐木氏がどうしても言っておかなければならなかった『遺言』を現代社会に伝えます。

出演者:直木賞作家・佐木隆三

制作局テレビ西日本(TNC)

2012年6月24日(日)

Tip off!世界へ描くアーチ~バスケットマン 並里成~

プロバスケットボールプレイヤー並里成。バスケットボール世界最高峰のNBAでプレイすることを夢にもつ彼が、故郷・沖縄の熱い期待を背負って戦う1年を追った物語。

「ファンタジスタ」と呼ばれているプロバスケットボールプレイヤー並里成。沖縄県本島中部に位置する沖縄市・基地の街『コザ』で生まれ育った彼は、幼い頃から、アメリカ人とバスケットボールをし、本場アメリカのプレイを体験してきた。そんな彼の夢はバスケットボール世界最高峰のNBAでプレイすること。その夢を叶えるために、高校は沖縄を離れ、外国人留学生を受入れていた福岡第一高等学校に自ら希望して進学。そこではチームを全国優勝に導くなど、数々の栄光に輝いた。更に、バスケットボールで人気を集めた伝説の漫画『スラムダンク』の著者・井上雄彦さんが設立した『スラムダンク奨学金』の第1期生に選ばれ、今や日本のバスケットボール界期待の星となっている。そんな彼が、このシーズン故郷・沖縄のチーム 琉球ゴールデンキングスに1年間限定で入団。シーズン序盤からスーパープレイを炸裂し、観客も熱狂!しかし、その期待の裏には、自分のプレイスタイルに苦悩する並里の姿が…。並里が、故郷・沖縄の熱い期待を背負って戦う1年を追った物語。

出演者:並里 成

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2024.08.04(日)

 コロナ禍で4年ぶりに開催された熊本県原爆死没者慰霊式典。「広島・長崎を最後にせんと行かん」と壇上でそう訴えたのは天草市に住む川原征一郎さん82歳です。自身も長崎原爆の被爆者です。3歳の時の被爆が自身の生き方や価値観に影響を及ぼしたのかも知れません。川原さんは命という言葉に敏感です。その想いを趣味の折り紙(動物)で表現し、地域の人々に命の尊さや平和の大切さを伝えています。折り紙のレパートリーは今や2000を超え、市民講座や小学校などにも講師として招かれ“折り紙先生”とも呼ばれています。折り紙を本格的に始めたのは、勤めていた水族館時代でした。見学に訪れた子ども達に折り紙を使って海の生き物(イルカ)の話をしたところ興味を持ってもらったのがきっかけでした。川原さんは海の生き物から気付かされたものが多く、特にイルカとは触れ合う日常の中で命との向き合い方を学びました。数奇な被爆体験がそうさせたのかも知れません。川原さんは還暦を過ぎた或る時、不思議な夢を見ます。写真の中でしか知らない父親が夢枕に現れたというのです。命の繋がりを実感した不思議な体験だったと述懐します。番組は、被爆した3歳のあの日から82歳になった今も歩み続ける川原さんの命の軌跡と希望の日々を描きます。

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