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これまでの放送内容 -テレビ宮崎(UMK)-

2024年3月12日(火)

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ヤンキー息子 母なる海へ

小さな港町に20年ぶりの漁師が誕生。かつてヤンキーだった男は故郷を背負って海へ向かう。唯一、彼を見捨てなかった母の想い。互いを信じ抜いた母子の新たな挑戦とは。

宮崎県門川町。「門川金鱧」で再起を狙う小さな港町は、長年続く漁師の後継者不足に悩まされていた。2023年2月、一人の若者が帰郷。20年ぶりの新米漁師、中崎瑛斗(ひでと)22歳。
中学時代は学校へも行かず手が付けられないほどのヤンキーだった瑛斗さんだったが、幼い頃から抱いていた海への憧れを思い出し一念発起。漁師の道を選択。唯一信じ背中を押してくれたのは、母・みどりさんだった。息子の手伝いに専念するために仕事を辞めたみどりさんは、鱧の捌き方を勉強中。毎朝、先輩漁師の元へ通っている。その生活の中で芽生えた「鱧を活かして町おこしがしたい」という想い。
互いを信じ抜いた母子の新たな挑戦を追いかけた。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2023年12月12日(火)

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かず君が目覚める日

かず君が目覚める日

かず君(松本一輝さん)は2歳の時、ゼリーを喉に詰まらせ重度の低酸素脳症になり、寝たきりに。意識は無く、母の献身的なケアで事故から8年経った今も命を繋いでいる。
母・輝美さんは、かず君との何気ない日常を動画に収めてSNSで発信。動けないかず君が動画の中では活き活きと生きる姿に、楽しみを見いだしていた。そんな輝美さんに、「動画クリエーター」になるという目標が芽生える。アニメーション動画の中では、かず君は話をすることも動くこともできると、奮闘の日々が始まった。かず君が目覚める日を信じて過ごす母の姿を追った。

出演者:松本輝美/松本一輝

制作局テレビ宮崎(UMK)

2023年10月31日(火)

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海がつなぐ

右腕を失い、生きがいも家族も失った男性がサーフィンを一から始めるため宮崎に移住。海で出会った多くの人とのつながりでどん底の日々から第二の人生が始まっていった。

仕事中の事故で右腕を失った男性。右腕、生きがい、家族…多くのものを失い、「人生のドン底」だった彼がサーフィンを一から始めるために神奈川から宮崎に一人で移住。片腕でのサーフィンは多くの困難があり、悪戦苦闘の日々だったが、宮崎での多くの人たちとの出会いが彼を助けていく。彼の第二の人生が始まった、宮崎の海がつないだ出会いとは…

制作局テレビ宮崎(UMK)

2023年9月12日(火)

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それでも、前へ。

2022年台風14号の土砂崩れで崩壊した牛舎から1頭だけ奇跡的に救出された一頭の仔牛。「奇跡の仔牛」を授かった或る農家の「生きる」を描いた記録。

高千穂町上岩戸(かみいわと)地区。急峻な地形にへばりつくように棚田が広がる鄙びた山里。人々は農業を営みながら細々と生活している。2022年9月18日。畜産業を営む佐藤征弘(ゆきひろ)さんに悲劇が襲った。台風14号の襲来で裏山が崩壊、自宅の隣にある牛舎を丸ごと飲み込んだ。牛舎には6頭の牛がいた。誰もが悲観していた作業4日目、1頭の仔牛が無傷の状態で救出された。その模様がニュースで放映され「奇跡の仔牛」といわれるようになった。佐藤さんは三代続く畜産農家。仔牛を育てる繁殖農家として生計を立てていた。しかし今回の台風の被害で全てを失った。今回の台風で宮崎県は「激甚災害」の指定を受けたが、個人農家の被害について補償される見込みは極めて低い。高千穂の畜産農家は家族経営が主体で、牛の繁殖・肥育の状況で1年のサイクルが決まっていく。牛と共に生きてきた佐藤さんが再び肥育農家として歩み始めることが出来るのか。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2023年5月16日(火)

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24歳、ありのままの私。

森千沙都さん、24歳。彼女の夢は自分のカフェをオープンすること。1度きりの人生を自分らしく生きるため、ただ「好き」にまっすぐ生きる彼女に密着した。

森千沙都さん、24歳。3歳の娘を育てるシングルマザー。彼女は1カ月に一度通院し、持病「クローン病」の症状を抑えるため投薬治療を行っている。そんな彼女の夢は自分のカフェをオープンすること。「自分の人生で、やりたいと思ったことをやらなかったら後悔するんじゃないか」。ただひたすらにまっすぐ“好きなことをしたい”24歳に、同い年のディレクターが密着した。

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.11.24(日)

八代市坂本町の鮎帰(あゆがえり)地区にある日光(にちこう)棚田。標高420メートル、里山に囲まれ階段状に連なる田畑の景色はどこか懐かしく安らぎを覚えます。1999年『日本の棚田百選』にも選ばれました。しかし、今は過疎化と相次ぐ離農で耕作放棄地が目立ち、田んぼは畑に切り替わり棚田の風情は過去のものとなろうとしています。この日光棚田で僅かに残った数枚の田んぼで唯一米作りに取り組んでいるのが、野口修さんです。年齢は87歳、農業の経験も無ければ地主でもありません。 野口さんは、2016年広島から坂本町に単身移住、79歳の時でした。数年後日光棚田に出会います。それは素人目線の安易な発想だったかもしれません。廃れていく棚田に想いを募らせ景観を維持できないかと…、野口さんは2020年元米農家の田んぼを借りて米作りを始めます。春は田起こし、苗ができれば田植え、収穫の秋まで水の管理や田の草取り、厄介なシカの防除に至るまで片時も目が離せません。野口さんは苦労をものともせず、四度目の秋を迎えることができました。 野口さんは収穫の喜びとは別に、新たな目標に向かって歩き出していました。本人曰く“僧侶”になると、坂本町へ移住を世話してくれたお寺の住職の力になければと話します。住職の体調を案じた末の決断でした。僧侶の資格を取るため、野口さんはこれまで通信教育でお寺の宗派に関する作法やお経を学んできました。最終課程は京都、得度(とくど)習礼(しゅらい)と呼ばれる修行に入ります。 80歳を目前に単身移住。棚田の景観を守ろうと挑む米作り。そして、今度は僧侶になろうと一念発起。野口さんは、鮎帰の里に新しい風を起こそうとする革命児なのかも!? 何が自身をそうさせるのか!?世の中を憂い立ち上がった青春期に答えは有るようです。 荊(いばら)の道を怯まず自らを進化させ続ける野口さんは間もなく米寿。人生100年時代を迎え、余生を謳歌する今はまだ旅の途中かも知れません。番組では、自らの信念と向き合う野口さんが何を求め何処へ向かおうとしているのか、終の棲み家に選んだ里の日々を追います。

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