これまでの放送内容 -テレビ宮崎(UMK)-
2011年12月4日(日)
開店!!居酒屋診療所 店長は町のお医者さん
宮崎県の北部、延岡市。 人口の約3割が65歳以上と高齢化がすすみ、公立病院で医師の数が足りず休診科が出るなど深刻な医師不足問題も抱えている。
そんな街に昨年誕生した「大貫診療所」。院長で唯一の医師、榎本雄介さん(37)は「街を元気に。住む人を幸せに」という目標の元、医療以外の面でも地域活性化のために駆け回る日々。その活動の一つが、診療所の2階で月一回開催する「診療所居酒屋」。院長から店長へと変身し、地域住民との交流の場として一年半続けている。「徹底した地域密着医療」を目指す青年医師の姿を追った。
制作局:テレビ宮崎(UMK)
2011年9月25日(日)
おしゃべりピアノ ~広汎性発達障がいのピアニスト~
広汎性発達障がいをという障がいを抱えているピアニスト・野田あすかさん。 「広汎性発達障がい」とは社会性やコミュニケーション能力といった基本的な機能の発達が遅れてしまう先天性の障がい。
「自己中心的」「何を考えているのか分からない」という印象を与えてしまうため、周りから障がいとして理解されないことも多いと言われています。
「わたしはおしゃべりが苦手だからピアノでおはなしするの。」
多くの人に言葉ではなくピアノで自分のメッセージを伝えたいと語る彼女の夢は、これまで障がいが原因で開くことのできなかったソロリサイタルでした。
制作局:テレビ宮崎(UMK)
2011年9月4日(日)
ピーマン農家 DJ JOE
1973年、宮崎市の片田舎にあるピーマン農家に1人の男が誕生した
彼の名は「日髙陽一」
将来の夢は「プロ野球選手」朝から夕方まで野球にあけくれ、たまに近所の英語塾で勉強したりもした
3兄弟の長男として真面目に育った彼はなんとか無事に地元の高校を卒業し両親は実家のピーマン農家を継いでくれるものとばかり思っていた
ところが「農業なんか格好悪くてやってられるか」「大金持ちになってデカい車に乗ってブロンドの美女をはべらせてやる」彼はアメリカンドリームを求めて渡米した
渡米した彼はサウスダコタの大学に4年間通いロスでツアコンや通訳として4年間勤め沢山の異国人と、また異国にいる邦人と触れ合ううちにあることに気付いた「金持ちイコール幸せじゃない」
そして海外での農業従事者の世間的ステイタスの高さに驚いた
そのとき、彼の人生は変わった
「宮崎に帰って農家を継ごう」「日本の農業の価値を変えてやろう」28歳で帰郷した彼は実家のピーマン農家を継ぎ、まもなく10年が経とうとしている
農業に従事するかたわら、軟式野球連盟の理事や、地元消防団員
地区の評議会委員などを務め、さらには地元の神社の氏子として神楽まで舞ってしまう
いくつもの顔を持つ「エンターテイナー ピーマン農家」
2年ほど前にはラジオDJも始め担当する番組では地元の若手農家をゲストに招き「農業のステイタス向上」に努めている
しかし彼は今後一体どこへ向かっていくのか?
制作局:テレビ宮崎(UMK)
2011年7月17日(日)
みちしるべ ~口蹄疫 牛と刻む足跡~
約30万頭の家畜が処分されるという未曾有の被害を受けた宮崎県。あの口蹄疫から1年…。番組では、口蹄疫で家畜を処分した畜産農家に密着し、復興・再生へと動きだす夫婦の歩みを追いました。
宮崎県宮崎市佐土原町で酪農を営む夫婦は、口蹄疫で全ての乳牛を失いました。再開か…断念か…心の決心がつかないまま、毎日、牛の姿が消えた牛舎に足を運ぶ2人。過ぎ行く月日の中で牛舎の裏にある子牛の運動場も野菜畑に姿を変えていきました。後継者がおらず年齢という壁がつきつけられる中で描かれる心の葛藤や人間模様。番組では夫婦2人の歩みと決断までの一部始終に迫りました。口蹄疫は去年8月に終息し、宮崎県の街並みは日常に戻りました。しかし、経営を再開した農家は半数にとどまっているのが現状です。口蹄疫の復興はまだ始まったばかりです。
制作局:テレビ宮崎(UMK)
2011年6月26日(日)
おしゃべりピアノ ~広汎性発達障がいのピアニスト~
広汎性発達障がいをという障がいを抱えているピアニスト・野田あすかさん。 「広汎性発達障がい」とは社会性やコミュニケーション能力といった基本的な機能の発達が遅れてしまう先天性の障がい。
「自己中心的」「何を考えているのか分からない」という印象を与えてしまうため、周りから障がいとして理解されないことも多いと言われています。
「わたしはおしゃべりが苦手だからピアノでおはなしするの。」
多くの人に言葉ではなくピアノで自分のメッセージを伝えたいと語る彼女の夢は、これまで障がいが原因で開くことのできなかったソロリサイタルでした。
制作局:テレビ宮崎(UMK)