江戸時代、長崎街道の宿場町として栄えた飯塚市は、日本の近代化を支えた炭鉱の町でもありました。炭鉱のシンボルだったボタ山も、長い年月(としつき)で緑に覆われ、田畑の恵みを見守り続けています。
馬見山系(うまみさんけい)に源を発し筑豊平野をうるおし、響灘にそそぐ遠賀川は、農業用水として、また船で石炭を運ぶ役割をも果たしてきました。
毎年8月、遠賀川中之島で行われる「飯塚納涼花火大会」は、およそ6000発の花火を、短時間で打ち上げるもので、昔から筑豊に流れる、川筋気質(かわすじかたぎ)を思わせる勇壮(ゆうそう)なものです。