一度は途絶えた小倉織を、伝統を継承しつつ、現代に息づく新しい「縞」の世界として蘇らせた。小倉織を再生から進化へと導く。
手織りでは数に限りがある小倉織ではあるが、機械織りで様々なパターンの織物が可能になった。工場の代表は、娘の築城弥央。一度途絶えた小倉織を絶対に途絶えさせない覚悟で、現代の小倉織商品を生み出す。
小倉織の「縞」は、今や地元北九州市の至る所で目にするものとなった。しかし、その再生の道のりは簡単なものではなく、骨董店でわけてもらった端切れ一枚から。独自の密度で織る事で、風合いのある小倉織が生まれた。
能装束に魅了された築城は、大学を辞め染織の道を歩む。染めから織りまで全てを一人で行う、沖縄久米島で修業した後に、地元北九州の骨董店で、望んでいた「小倉織」の布と出会い、小倉織再生の道が始まった。
幻の「小倉織」をゼロから復活させた染織作家・築城則子の工房を、歌人・俵万智が訪ねる。35年でおよそ600の縞の作品を生み出した築城は、縞に斜めの線を入れる「まだ見ぬ縞」に挑んでいる。