由布院を人気の観光地への導いた匠。―夢と法螺― 笑顔で語るその過程とさらなる由布院の可能性とは?
平成に入り、観光地・由布院は全国に知れ渡る。中谷はこれまでの記録を後世に残そうと「由布院の百年」の編集を始めた。イタリアの盆地の例を挙げ、これからも盆地には特有の文化を作る可能性があると由布院の未来を語る。
昭和50年4月、大分県中部地震が発生、由布院も被害は甚大だった。「何かやらなくては」という危機感から町がひとつになり、様々なイベントを練り上げる。湯布院映画祭など、今も続く多くのイベントがこの年に始まった。
昭和46年、由布院に客を呼び込む方法を模索し、ヨーロッパ各国を視察する。ドイツの保養地に日本にはない温泉観光の在り方を見た。ゆったりと過ごし、散策することが観光の目玉という観光の考え方。由布院の自然を生かし、緑を大切にすることを学んだ。
昭和30年代まで、ひなびた温泉場だった由布院を人気の観光スポットに導いた亀の井別荘、中谷健太郎。中谷が旅館を継いだころ、九州横断道路が開通、大いに期待したが、客は増えなかった。中谷は客の迎え方を変え、親近感をもって接した。
優れた技術を持つ九州各地の匠たちを紹介している「匠の蔵」。
12月の匠は由布院を人気の観光スポットに導いた亀の井別荘の中谷健太郎さん。取材を担当した歌人・俵万智さんとナレーション担当のジョン・カビラさんが見どころを語ってくれました。